桜草原野の美観

作成者 佐藤良徳

 荒川流域にはサクラソウの名所が多く、古くから多くの遊覧客が詰めかけた。特に大正時代には多くの行楽案内に、紹介されている。それらに書かれたサクラソウの美観の描写を紹介しよう。

1.花の頃は、この原一面朱に染む如くにして、朝日の水に映ずるがごとし。また此の川に登り来る白魚をとるに、船にて網を曳き、あるいは、岸通りにてすくい網をもって、人々きそいてこれをすなとる。桜草の赤きに白魚を添えて、紅白の土産なりと、遊客いと興じて携かえるなり。
「江戸名所花暦」文政10年(1827)岡山鳥

2.此辺桜草の名所にして、春時花開く時は、宛然(あたかも)毛氈を敷たるが如し、都下の遊人群集してこれを賞す。
「江戸年中行事」三田村鳶魚 「江都近郊名勝一覧」弘化3(1846)年より

3.このヘんは、かなり広い範囲にわたって、かっては桜草の名所だった。渡し場のあった浮間ケ原や、戸田橋を渡ったあたりの戸田ケ原などは特に有名だった・・・いたるところの堤の斜面や広い河原が緋桃一色に塗りつぶされた。
中西慶爾「巡歴中山道」

4.河畔の原野に生え、また庭園に、また鉢植として栽培する。・・・野生種は荒川の河床、浮間ケ原や戸田ケ原、田島ケ原が有名である。
我国は草もさくらを咲きにけり ー茶
「カラー図説日本大歳時記」講談社

5.かれんな紅花を付けたシワ多き葉の小草は満地にモウセンを延べたようにあるので、足の踏み所も覚えずアアと感嘆して、みごとみごと、きれいきれいとしばらくはあっけにとられて立ち尽くした。・・カヤの若芽の桜草とスミレと一面に生えている隣りのカヤ野には、男女二十人ほどがケットを敷いて花束を作るやら掘るやら騒いでいる。
 川岸の土手にはハカマをつけた小娘が風に吹かれながらキャッキャと鬼ごっこをしている。赤羽一帯の丘の林は今や新緑を粧おおうとして、まだ寝乱れ髪のそそけた風情がある。
   明治39年5月6日と7日の読売新聞 中谷無涯「浮間の桜草狩り」の紀行文

6.一面、桜草で、丁度毛氈でも敷いたようである。頗る見事である。で、日曜、土曜などには、東京から女学生達が沢山にやって来る。女学校で、運動会に生徒をつれて来たりするので、桜草は採られ、束にされ、弄ばされて、娘達の美しい無邪気な心を飾る。花の中にいる大勢の娘、実際絵に書いた美しいシインである。・・のどかな春の日に、ぶらりぶらりとここらを子供でも連れて歩いて見ると、都会の煩労をすっかり忘れてしまったような心持がする。
「東京の近郊」田山花袋 大正5(1916)年

7.辺り長閑な春の日和に桜草の原に寝ころんで雲雀の声や鴬の鳴く音をきくもまさに一日の清遊である。
「郊外探勝その日がへり」落合昌太郎 大正5年

8.浮間ケ原、廣袤(こうほう)數満萬坪の原野は、角ぐむ葦の未だ寸を出でざる所に、大戟(のうるし)の黄金を展べたる、白花菫(しろばなすみれ)の銀(しろがね)を泛(うか)べたるものを交ヘて、櫻草の錦繍を織成すを、見る、其數幾百萬株とも知れず、紅毛氈を布き(しき)渡したる美観は、蓋し想像の外(ほか)で有る。
「趣味の野草」大正七(1918)年 前田曙山

9.花の散った時分、春を趁(お)うて、ここらまでやって来るのも興味があった。女学生の遠足の群などがあって、休茶屋の設けもある。それに、荒川がちょっと面白い。・・荒川堤はまだ開けないところが好い。田圃に向った二階の室で、畠を隔てて荒川を往来する帆影を見るのなども興味が饒い。川の水の見えないのも却って面白い。田には見事にれんげなどが咲いている。
「東京近郊一日の行楽」田山花袋 大正7(1918)年

10.原は見渡す限り一面の桜草で、ずいぶん見事である。・・広大なる原で、桜草は大輪、花は自由に取って良い。雲雀の声や鶯の声もきかれて長閑な春の日の行楽にはまことに楽天地である。
「郊外めぐり一日の旅」片山青流 大正9年

11.ほんとにしみじみと遊んだ気になれる。殊には荒川の清流近くにせせらいで、雲雀の声も空高く聞かれるのだもの、一日を全然ここで遊んでも充分楽しめる。
「近郊探勝其の日帰りと一夜泊り」大正11(1922)年 池田紫雲

12.春は浮間ケ原の辺から舟で荒川を下り、八重桜のある方へ下ってゆくのも面白いが、また静かな舟遊びをしようと思うなら、晩春初夏の頃少し上流の方ヘ舟をやると、川幅は広くなり水は洋々として清く、土手の草は緑に、空には雲雀の声が助え下して、ほんとうに長閑な水郷的気分を味わうことができる。
「東京近郊めぐり」河井酔茗 大正11年7月

13.浮間ケ原は、全く見事だ。あたかも花毛氈でも敷いたように一面の桜草である。そして花は、自由に摘み取ることを許されている。
 四方が、広々と開けている。荒川の流れが、ちょうどここで大きなS字形を描いて折れ曲がっているが、船が土手の上に帆の頭だけを出して、川の形通りに折れ曲がって行ったり、下がって行ったりする様が、何とも言えない趣がある。
 それにここには雲雀が多い。
 この美しい野の主人公は、多く若い女学生の群れや、子供を連れた夫婦づれなどで、この上に足を投げ出して、サンドイッチくらいを広げている。ここでは、酒などを飲んで酔っ払っている者はない。
「近郊探勝日帰りの旅」松川二郎 大正11(1922)年(大正8年初版)

14.ここのシーンは「四方が、ひろびろと開けている。荒川の流れが、大きなS字形を描いて折れ曲がっていて、船の形は見えずに白い帆だけが、花の野の上を折れ曲がって上って行ったり下がって行ったりするかたちが面白い。若い女学生が花の上に足を投げ出してサンドイッチの包みを広げていたり、子供達が魔法瓶のお茶を飲んでいたりする。」
 まずそういった趣で、ここの撮影には約束として若い婦人とパラソルが配せられる。あれはやや月並みではあるけれども、ちょうどパラソルの出始める時季で、その年々の色と形とは、まずここに見ることができるのである。
「東京近郊写真の一日」松川二郎 大正11(1922)年

15.サクラソウ原野は4、5月の頃になると主役のサクラソウが原っぱ一面紅花をもってこれを彩り、これに交って黄色のノウルシ、黄金色のヒキノカサ、紅紫色のムラサキケマンやジロボウエンゴサク、紫色のスミレ、白色のシロバナスミレやツボスミレ、藍紫色のチョウジソウ、赤褐色のスイバその他の花が一せいに開いて、あたも高山のお花畑のような一大美観を呈する。
「おもしろい生物の生育地を訪ねる4−サクラソウ」本田正次 遺伝11巻4号(1957)

16.花の盛りは、満目ただ桜花の毛氈を敷いたよう。実に北郊特有の一奇観である。今天然記念物として保存を計らるるに至ったのも故あることであろう。
「東京郊外 楽しい一日二日の旅」高橋壽恵 大正14(1925)年

17.ここが即ち櫻草で有名な浮間が原で、飛鳥山や荒川堤の櫻の盛りを過ぎた頃、この原一面に紅白桜草が緑野に浮出ているのでここに来て、花を摘む者がすこぶる多い。この頃になると、野原に掛茶屋なども出来て、男女老幼集い来り、悠長な野遊びが行われている。荒川の水は向うの土堤伝いに流れ、潅漑川の野水が縦横に流れていて何んともいえぬのんびりした水郷である。春の野、月のタベ、舟遊び等また他に見られない趣がある。
「大東京の史跡と名所」佐藤太平 昭和5(1930)年

18.桜草のほかいろいろの野草もまじって満地さながら花莚(はなむしろ)を敷いたよう。近くは荒川の白帆、遠くは秩父、日光その他の山群を見晴らし、やわらかい春光を全身に浴びてのんびりした半日を送ることができる。そしてそれらの桜草の間にはノウルシ(黄)、スミレ(紫、白)、丁字草(紫)、ヤブエンゴサク(紫紅)、ヒキノカサ(黄金色)等の野草が可憐な花を開いて妍を競っている様は、さながらに天国の花園を偲ばしめる。
「東京近郊日がへりの行楽」松川二郎 昭和5(1930)年

19.サクラソウが一面に発生して四月下旬から五月上旬にかけてはまるで紅毛氈を敷いたような花盛り、これと混じてノウルシが多い。ノウルシは白い汁が出る毒草であるが、この草の小さい花部を取り巻く数枚の葉は鮮やかな黄色を呈し、これまた大きな群落を作って萌黄色の毛氈を広げたようで、紅色のサクラソウの花と相対して、自然の花園の美観は全く筆舌に尽くしがたい。この外にサクラソウ原野の固有の植物には藍紫色の花を開くチョウジソウ、黄色の花のヒキノカサ、淡紅色の花のジロボウエンゴサク、白地に淡紫の絞りのあるシロバナスミレ、赤褐色の花のスイバ、それから前に述べたアマナなど、まだ花には早いがアマドコロ、レンリソウ、コバギボウシ、ムサシノギボウシ、ノカラマツなどその他数々の草が生い茂り、夏から秋にかけてはオギやヨシのような背の高い草が伸び出して、春の美観とは全く別の趣を呈するが、季節の移り変わりと共に植物景観の変化を観察するには実に適当な場所である。
「武蔵野」田村剛・本田正次 昭和16(1941)年

20.一望果てしなき武蔵野の原野に藁葺きの農家がまばらに点在するありさまは一幅の風景画を想わせるものがあり、日本晴れの空はあくまでも広がり東に筑波の山、西に遠く富士を展望、関東平野の緑の地平線は雄大に、葦の茂みの合間には可憐な野生の桜草が春から初夏にかけ、地に桃源の絨毯を敷き、空にさえずる掲雲雀、そこには長閑な楽園を想はせるものがあった。
「浮間今昔物語」金子安治 1983

21.東京市を貫流する隅田川の上流なる荒川の沿岸には古来桜草の多く発生せる原野あり、是等の原野はしばしば河水の反乱によりて泥土を蒙り、養分に留めるも、平時は地面乾固し、亀裂を生ぜるを見る。土壌の状態普通の原野と異なるにより、従って植物の群落を異にし、其中最も固有なるは桜草にして仲春の頃には原頭一面紅花を以て飾られ之と入り交りて黄色の野漆、紫色及び白色の董、紫色の丁字草、紅紫色のムラサキケマン、ヤプエンゴサク、黄金色のヒノキカサ等花を開きあたかも天然の花園の如く一大美観を呈す。
大正9年5月 史蹟名勝天然記念物調査委員 理学博士 三好 学

22.浮間の原  さきがけよ、春の前ぶれよ、と泰西の詩人にもうたわれた桜草の咲く浮間の原は、春ともなれば軽い衣装の袂、柄の長いパラソルなどで華な都会の若い女性達にぱっと彩られるのであった。赤羽駅からそこへいく臨時の渡場までは、淡紅の花束を持つ人達の行列が続いたものだった。
 春の野の 葦間がくれに 風吹けば ふるえて咲くよ 櫻草の花は。
(昭和13年8月10日)「荒川を遡る」平野実  「武蔵野」25巻8号